[手紙]第三章・終章
~未来へ~


張飛の生活は、次第に以前のリズムを取り戻し始めていた。
退院した翌週から予定通りコミック店のアルバイトにも復帰し、六年続けていた仕事の感覚もすぐに思い出して、
彼は毎日遅刻も欠勤も無く働き、すっかり元気を取り戻していた。
働く事を再開して少し経つと張飛は誕生日を迎え、出会った翌年の十歳の誕生日から去年まではずっと祝ってくれていた
関羽がもういないのはやはり寂しかったが代わりに馬超が関羽の分まで誕生日を祝ってくれて、それはそれで楽しい日を
送ることが出来た。

そんなある日の夜だった。
いつもと何一つ変わりなく仕事を終え、勤め先の傍の店で夕食を済ませてから一緒に帰ってきた馬超とマンションの下で別れ、
その後はゲームをしたりTVをしばらく見たりして零時前に床に就いていた張飛は真夜中、夢に魘されハッと、飛び起きた。
(・・・・・   ・・・・・・何だ・・・・・・・・・  今の・・・・・・・・・・?)
思わず生唾をゴクリと飲み込むが心臓はドキドキと速く打ち、額にはうっすらと汗を感じる。
腕でそれを拭い、夢で見た光景を思い出す。

"助けてくれ"
"助けてくれ、張飛"
水に溺れるような感じでガボガボともがきながら必死に手を伸ばし、助けを求めていたのは馬超だった。
でも、どんなに伸ばしても自分の手は彼に届かず、そこで目が、覚めた。
何か、物凄く不安な気持ちに駆られ、いてもたってもいられずに張飛は気が付くと寝間着のスウェット姿のまま、
馬超のアパートを訪ねていた。
「・・・馬超、・・・馬超ッ」
まるで何かに駆り立てられるようにドンドンと力任せにノックし、呼んでいるとやがてドアが開き、パジャマ姿で
不機嫌そうな表情の彼の姿が視界に映る。
馬超の住むアパートは1フロア1部屋の小さい建物だったので同じ階に他の住人が居なかったのは幸いだった。
「・・・・・・、  ・・・・・お前、今何時だと・・・・・」
「・・・あ・・・・・・・・・   ・・・・・無事、だったか・・・・・   ・・・・・   ・・・御免」
目の前にある、現実の親友の姿に張飛はふと我に返る。
「・・・?・・・・・無事も何も・・・・・・・    ・・・・・・・一体、何だよ?・・・ああ、まあ取り敢えず中、入れよ」
一先ず何なのか事情は聞かねばと思ったらしい彼に促され、部屋に入る。
住所は前から聞いていたしアパートの下までは来た事あったが、部屋を訪ねるのは初めてだった。

「それで、どういう事なんだ、え?」
部屋の明かりが灯され間仕切りの無い、寝室とリビングと食卓を全部共有している部屋の真ん中、テレビの前に置かれた
ソファに座った張飛に、食卓の脇から外の廊下スペースに沿って奥に細長く伸びたキッチンの冷蔵庫から飲み物を
取り出しながら馬超が問う。
テレビの傍に置かれた時計は、間もなく午前三時を示そうとしていた。
「ああ、うん・・・・・・・・御免な、俺・・・夢ェ・・・・・見ちゃって・・・・・」
何でもなかった現実を認識するに連れ、有りもしない心配をして真夜中に押し掛け、迷惑を掛けてしまったと自分の行動を
後悔し始めていた張飛は自己嫌悪に苛まれる。
「ん?夢?」
間もなく、ジュースを注いだコップを二つ持って戻ってきて一つを張飛に渡し、自分の分に口をつけながら隣に座った
馬超は怪訝そうに、でも何処か心配そうな表情で首を傾げている。

「うん・・・・・・お前が、水に溺れてもがきながら・・・・・助けてくれ、助けてくれ・・・って・・・・・・・・俺を、呼んでたんだ・・・・・
・・・・・それで俺・・・・・・・・・凄く、不安に・・・・なっちまって」
関羽を亡くした後もしばらく、眠っても見る夢はいつも辛く悲しかったがそれはあくまで義兄に対する寂しさや恋しさ、
病気に早く対処出来なかった後悔という感情の裏打ちによるものであり、さっきの夢のように現状には何の不安も
感じていない友達が苦しむ夢というのは今まで一度も、経験が無かった。

「なんだ・・・・・・そういう事、か・・・・・・    けど、もう安心、しただろう?俺はこの通り、何とも無いし。心配ない、
ただの悪い夢さ。第一こんな真夜中に俺がどこで溺れるってんだよ・・・・・・・・・・まったく、お前とんでもない時間に
起こしてくれちまって・・・・これじゃあ今日は仕事が大変だぜ・・・」

口ではそう言いながらも張飛の、突然の真夜中の来訪が彼の見た、自分に関する悪夢に心配を募らせた所為だったと
知るとさすがに馬超も心から怒る気にはならなかった。
知らない人には張飛は単に明るく豪放で、感情に任せた行動を取ることが多いのでともすると自分勝手な人物にすら
映る事が多いが、二十歳過ぎからずっと友達として付き合ってきて、義兄を亡くした後の凄まじいまでの荒れ様も見てきた
馬超は彼の中にとても繊細で純真で、まるで幼児のままのようなか弱い心が存在している事も知っていた。
だからこそ、夜中に叩き起こされてもそれが悪い夢を見てこうして自分を心配し、なりふり構わずやってきた彼の所為だと
思うと何処か、憎めなかった。

「うん・・・・・・そう、だよな?あんな夢見たの初めてだったんで、気が動転してたみたいだ・・・・・・・ホントに、悪かったな
馬超。・・・・今ならまだ三時だから、あと四時間は寝れるさ。・・じゃあ、俺帰る・・・」
「ホントお前はもう・・・・        ・・・・ ・・・・・・・」
張飛は入れてくれたジュースを飲み干してから迷惑掛けた事を詫び、ドアを開けようとした瞬間後ろで鈍い物音がし、
何気なく振り返るとそこにはたった今まで普通に言葉を交わしていた馬超が突如床に崩折れ、ソファに突っ伏すように
寄りかかり、蹲っていた。

「・・・・・・・・・!!!・・・・・・・・・ば、馬超・・・?!」
「・・・・・  ぐ・・・・ッ・・・・・・      ・・・・・・痛・・・ェ・・・・・・    ・・・・・・・・、  ・・痛え・・・ェェ・・・・ッ・・・・・・!!」
慌てて駆け寄り、抱えるようにそっと抱き起こそうとするが馬超は自分が取った姿勢以上には身体を動かせないほどの
強い腹痛があるようで、蹲ったまま片手でぎゅっと胃の辺りを押さえ、痛みを訴える。その身体には震えるほどに力を篭らせ、
呻く声の間の吐息ははっきりと速くて浅く、素人目にも明らかに緊急を要する状態だと言うことは判った。

張飛は咄嗟に、昨日彼が着ていたジャージの上着がベッドの傍の衝立に引っ掛けてあるのを認め、ポケットには
携帯電話が入れられていることを知っていたのですぐ探し当て、救急車を要請する。
「・・・馬超、もうすぐ救急車、来るからな・・・・・・・・   病院行けば、楽になるから・・・・・」
住所と部屋の番号を通報し、待っている間張飛はどうすれば良いかまるで判らず、床に座り込んで蹲ったままの親友に
言葉を掛け、背中を摩っていてやるくらいしか出来なかった。

深夜だったので救急車の到着まで、それほど時間は掛からなかった。
が、動けないほどの痛みに苦しんでいる馬超は運び出されるため担架に横たわらせられた時、ぎゃああ・・っと
今までは一度も聞いた事が無かったほどの悲鳴を発し、張飛は今目の前にある現実こそがただの悪夢であって欲しいと
思わず両手で耳を塞ぎ、身体は自然に強張る。
もしや、また目の前で人を失う経験をするのではないかと、それが無性に怖くて堪らなかった。

その日の救急指定は、中環の港中分科醫院(香港中央病院)だった。
救急車に乗せられ、救命士の応急処置を受けてもずっと大粒の脂汗を浮かべて呻き声とも悲鳴ともつかない
声を上げ、所謂"のた打ち回る"というのはまさにこの状態なのだろうと思われる様子で苦しみ続ける馬超を
励まし続け、やがて病院に着いて運び込まれた処置室のドアに隔てられ独り取り残された張飛は、余りに突然の
出来事に力が抜けたように傍のベンチに腰を下ろし、項垂れる。

心臓は未だトクトクと速く打ち、脳裏には関羽が入院したあの日の記憶が、鮮烈に蘇る。
何をどうすれば良いのか、まるで解らない。

どのくらい、待っていただろう。
ドアが開き、病室に運ばれる為既に点滴などをつけられベッドに寝かされた馬超が運び出されて来るが、
彼は横向きの状態でエビのように背中を丸め、膝も抱え込むような格好で横たわっており、まだ依然として
強い痛みが続いていて熱も出始めているので苦悶の表情を浮かべ、浅い呼吸を繰り返しながら目を閉じたまま、
ただもうぐったりとしているだけだった。
それから、処置をした医師が救急車で付き添ってきた張飛に改めて事情を尋ねたいそうなので・・と看護士に
言われたので案内されるままに診察室でカルテやレントゲン写真などを見ていた医師のところへ、行く。

医師は、スウェット姿で深夜の急患を救急要請し一緒に付き添ってきた張飛に、同居の身内かと尋ねた。
だから自分はただの友達で住まいも近くだがお互い別々の独り暮らし、倒れた時に居合わせたのは本当に
偶然だったと答えるとかなり驚いた様子だったが、例えそれが偶然でもとにかくあの時あの場に張飛が居た事が
馬超の命を救った可能性は極めて高かったと、褒めてくれた。

突然親友を襲った激烈な腹痛の正体は、実は急性膵炎によるものだった。
通常は過度の飲酒や胆石など、何らかの原因があって発症する場合が多い病気らしいが馬超の場合は生憎調べてみても
どちらの理由も当てはまらず、患者全体の少数には存在する、突発性のタイプだろうと告げられた。

幸い、症状が出てから処置までの時間が短かった事が功を奏し軽症の段階で済んだので命には別状無く、また、
年齢的にも若く体力があるので後は本人の回復状況次第だがそれでも早ければ十日から二週間、遅くてもひと月あれば
退院出来るだろうと告げられ、一先ず安堵する。
しかし張飛も実際に目にした通り急性膵炎の痛みというのはとにかく激しく、それは年齢が若い患者の方が強くなる
傾向がある為、もし仮に発作が起こったまま朝まで誰にも気付かれないままになっていたら馬超はきっと激痛に苦しみ
続けて体力を消耗し、身体の衰弱や重症化によって危険な状態に陥っていた可能性もあったらしかった。
事実、同じ急性膵炎でも予後の見通しが十分に明るい軽・中症に比べ重症では他の臓器にも深刻な症状が多々現れ、致死率も
三十パーセント台まで上がる予後の悪い難病として、区別されている事も聞かされた。

"命には別状ない"
関羽が入院した時には一度も、聞かされなかった言葉だった。
退院の見込みについても義兄の場合は入院した日以降終ぞ、はっきりと告げられた事は無かった。
もし、もっと早く彼も受診させていれば、今馬超について聞かされたような、明るい予後も望めていたのだろう。
それを思うと親友が助かった事には安堵しつつも、何処かやるせない気持ちは抑えられなかった。

取り敢えず、病室には移されたが強い痛みに苦しんでいるだけの馬超は今はまだ言葉も交わせる状態ではなく、
直接の身内でもない為後は朝八時からの面会時間に改めて出直すようにと言われたので張飛はそれに従い、家に戻る。

当たり前だがまさかこんな事態になるとは思いもせず、ただ寝間着のまま夢中で彼を訪ねていたので今の張飛は
財布はおろか小銭すら一銭も持っておらず、病院近くで拾ったタクシーで運転手に事情を話してマンションまで帰り着くと
部屋まで来てもらって料金を支払ってから、ようやく緊張の糸が切れたように食卓の椅子にどかっと座り込む。

壁の時計に目をやると、六時前だった。
とても長い時間だった気がするが、ほんの三時間足らずの出来事だったのかと気付くと少し、拍子抜けした。

その時急に、馬超の部屋を訪ねるきっかけになったあの嫌な夢を思い出し、フレームの中にある義兄の優しい笑顔に
目を落とす。
(・・・・・・・まさか・・・・・・・・・・・・?)
嫌な夢を見て不安に駆られて部屋を訪ね、少し話をして自分が帰ろうとしたその時までの、ほんの僅かな時間の間に
親友は突然異常を訴え、倒れた。

まるで、予めそうなる事が判っていて見えない力が自分を強く導いたような、余りにも偶然過ぎる出来事に思える。

ひょっとして―――――馬超に異変が起こることを前もって自分に悪夢として伝え、彼の許へ向かわせたのは
関羽なのだろうか。
義兄の病を気遣え無かったと悔やみ続け、挙句に死別という深い傷痕を心に残した最愛の義弟に再び、
一番の親友まで失わせるような事をさせてはいけないと、義兄が空から知らせてくれたのだろうか。

(・・・・・・兄貴かい・・・・・・?・・・・・・兄貴が俺に、馬超の病気のこと・・・・・・・・知らせて、くれた・・・・・・・?)
心で問うても答えが返ってくる事は無いが、その時張飛は何となく、姿は見えないが隣には義兄が居てそっと肩を
抱いてくれているような、そんな存在感を感じながらそのまま写真と向き合うようにして食卓に身を伏せ、しばし眠った。

目が覚めたのは八時だった。起きてすぐ店のオーナーに電話して事情を話し、自分も今日一日は休ませて欲しいと
頼んでから着替え、病院に向かう。

(・・・・・・ん・・・・、  ・・・眠ってるみたいだな)
完全な入院手続きには本人の署名や保険番号などの記入が必要だが馬超本人は現状、急性症状のある患者であり、
また同居の家族はなく、連絡の取れる親族などは一切判らないという事で一先ず張飛が代理で解る限りの手続きを
済ませた後、そっと病室を覗くとベッドの上に見える馬超はまだ数時間前と同じ姿勢のまま、眠っているようだった。

義兄が入院していた時は余り横向きの姿勢は取らないように言われて大体はリクライニングを少し起こした状態で
仰向けのままだったし、TVのドラマや映画で見たことのある病院などのシーンでも仰向けに寝ているのしか知らなかったので
馬超の姿勢では反って寝苦しくないのか、病人なのに大丈夫なのかと心配を感じそれとなく看護士に聞いてみた所、
横向きで背中を丸め、膝を曲げた姿勢を取るのは激しい腹痛を生じる急性膵炎患者独特の特徴であり、そうすると痛みも
少し軽減される為なので、安静が保てているなら気にしなくていいと教えてくれた。

「・・・・・・・・・・・   ・・・・・・張・・・・、飛」
無言で病室に滑り込んだ途端急に名前を呼ぶ声が聞こえ、驚いてベッドに歩み寄り顔を覗き込むと馬超は少しだけ
目を開け、その茶色の瞳で自分を見た。
「なんだ・・・・・お前眠ってんのかと・・・」
傍にあった椅子を引き寄せて座り、ベッドガードの柵に凭れるようにして顔を見ながら言葉を返すと馬超は顔を枕に半分
埋めたままでほんの僅かに首を振り、それから答える。
「・・・・・・・眠れないんだ・・よ・・・・・・・・・・・・・・・胃が、痛くて・・・・・・気分も、悪い・・・・・  ・・・胃痙攣・・・・か・・?」
鎮痛剤で幾らか抑えられてはいるもののそれでも完全に止めてしまう事は出来ず、差し込むような強い痛みの所為で
悪心も表れており、朝方からは熱も三十九度近くまで上がっていて、すっかり参っている様子の馬超の姿に昨夜
医師が言った事は本当だったと、実感する。膵臓は丁度胃の裏側にあるため、初めて患った患者の殆どがそうであるように
馬超もまた、胃の症状だと感じている事が窺える。

既に病院に入って薬の処置が始められた状態でも未だこの様子だ、もしあの激痛を抱え自宅で朝まで倒れたまま
だったらと思うとさすがに、ぞっとする。
"重症だったら致死率三十パーセントだった"
医師に聞かされた恐ろしい言葉が脳裏に甦り、だが不安を煽る訳にはいかないので本人には言うまいとグッと、飲み込む。

「・・・・そっか・・・・・・・・・・医師(せんせい)が言うには、痛みが取れるまでは二、三日、掛かるってさ。えっ・・・と、俺もよくは
判んねえけど、急性膵炎って病気だって言ってた・・・胃の裏っ側にある膵臓ってやつの、病気だって。・・でも軽症だから
命には別状ないって聞いたし、早けりゃ十日か二週間ほどで退院、出来るって。良かったな。・・・・今はまだ辛いだろうけど、
しっかり養生しろよ、な?」
言葉を掛け、安心させるようにふっと笑みを見せると馬超も辛いながらも親友の気遣いを汲んだのかほんの僅かに
笑みを見せ、頷く。
「・・・・・・そう・・・・・・なのか・・・・・・・・     膵、臓・・・・・・・・?・・・・・・・・・・何だ、それ・・・・・・・・・・
・・・・・・    ・・・・・あァ・・・・・・   ・・・喉、カラカラ・・・・・・・・・」
ずっと痛みに呻いたりしてきた事に加えて高い熱が出ている所為もあり、馬超は喉の渇きを訴える。
だが、膵炎の場合は飲食で消化機能が働くと病状を更に悪化させてしまう恐れがある為、急性症状が落ち着くまでの
数日間は一切絶飲絶食の措置が取られており、水分も輸液のみで補われている状態だった。

ただ、辛そうな様子であれば唇を少し湿らせてやれば良いと言われていたので張飛はサイドテーブルの上にカップと
新しいガーゼの袋が置かれているのを認めて白湯を貰いに行き、唇を幾らか、湿らせてやる。
「・・・・・・今まだ、何も飲んだり食ったりは一切駄目って言われたんで、これで我慢してくれよ、御免な」

実は関羽の入院中にも何度かした事はあったので、そんな行為すら妙に手馴れた自分が少し、悲しかった。
義兄の為に覚え、行っていた事が彼はもう居ない今また、親友の為に役立ってしまう現実が切なかった。
「・・・・・・えェ・・・・  ・・・水も・・・・飲めない・・・・、・・俺・・・・・?  ・・・  ・・・・うん・・・・   ・・・ありがと、張飛・・・・・
・・・・少し楽に、なった」
そして馬超もまた、口には出さなかったが張飛の湿らせ加減が余りに適度で上手でそれは間違いなく、
関羽の看病をしていた経験があるからなのだろうなと頭の中ではぼんやり、考えていた。
突然、何処にあるかすら知らなかった膵臓なんて臓器の病気だと言われて今まで経験した事がないほどの腹痛に
苦しめられ、挙句には一口の水さえも今は許されない状態なのだと聞いて、自分の身体で何が起こっているのか、
まだはっきりとは理解も認識も出来ず、不安な気持ちも大きくなる。

その馬超の、当たり前のように発せられた感謝の言葉を聞いた途端、張飛は急に目の奥からじわりと涙が
溢れてきてそのままぽろぽろと涙を零し、泣き出す。

「・・・・・・  ?!・・・・・・・・・・   ・・・・・・・張、飛・・・・・・・・・・?」
「・・・・御、免・・・・・・・・・・・・ッ・・・・・    ・・・・・・俺、すっごく・・・・・不安で、不安で・・・・・・・・
・・・・・堪らなかった・・・・お前が、あのまま・・・・・・どうにか、なっちまうんじゃ・・・・・・・ねえかって・・・・・
・・・・・・・・・・でも、良かった・・・・・・・  ・・・お前は、ちゃんと・・・・・治るから・・・・・・」
元々感情がストレートで素直な張飛のこと、発せられた言葉で馬超にはすぐにそれは安堵の余り溢れさせた涙だと判った。
そして同時に、ちゃんと治ると彼が言った事は心に浮かんでいた不安も、拭う。

病状次第では死の可能性さえある病を患ったが、幸運な事に彼の容態は重くはなく、治ると保証された。
自分も、本人も治ると信じてただ頑張っていた義兄が結局帰らぬ人となった辛い過去を抱えた張飛にとって、親友は
入院早々既に退院までの見通しさえ立ち、命の不安という一番恐れる要素が消えた事実への安堵と喜びはどんなにも、
大きいものだった。

「・・・・・・・・・・もう、少し・・・・・傍に、来いよ・・・・・・・・・」
求められるまま立ち上がり、乗り出すように身を屈めた張飛の首に馬超は自由になる方の腕を回し、引き寄せるように
軽くキュッと抱き締めてくれる。

「今はまだ・・・・・・・これ、しか・・・・・出来ない、けど・・・・・・・・・・そんなにも、心配して・・・くれて、有難う・・な・・・・・・
・・・本当に・・・・・・・・ ・・・・・・」
馬超の瞳も、その時自然と、潤んでいた。
今自分には、こんなにも想い案じてくれるたった一人の優しい親友が、いる。
馬超はそれが無性に、嬉しいと感じていた。

それから、飲食を禁じられ起きて動く事も出来ずその上、強い腹痛と悪心の為に少しウトウトはしてもすぐに目が覚めてしまって
眠る事すらままならない為、ただ横になったままぼんやりしているしかない馬超の気を少しでも紛らわせてやろうと
張飛はずっと傍に付き添い、何か話しかけられれば話し相手になり、時には身体が少しでも楽になるのならと濡らしたタオルで
額や首筋を拭いたり、そっと背中を摩ってやったりもして、自分が出来る精一杯の事をして過ごした。


「ああ・・・・・・・・そろそろ俺もう、帰らなきゃな」
病室は二人部屋だったがもう一つのベッドは空いているので他の見舞い客などが訪ねて来る事はなく、食事もないので
輸液の交換と検温以外には看護士すらも来ない病室に閉じ込められた親友と一日を過ごしてきた張飛はふと、何気なく
窓の外を見遣ってもう夕日が沈み始めているのに気付き、帰宅を切り出す。

「んん・・・・?・・・もう、面会終わり・・?そんな時間、なのか・・・・外、見えないし・・・・・・・・・」
ベッドは窓側でも入り口側を向いて横たわっている馬超にはそのままでは外は見えず、今はまだ寝返りすらきつい
状態なので改めて確かめることも、出来なかった。
「ん、ああ・・いや・・・・・面会時間は八時までで今まだ六時半だけど、俺がいてもしかして、迷惑だったんじゃないかって
思ってな。・・・・そろそろ、休んだ方がいいだろ」
義兄の時はあくまで"身内"だったし事情が事情だった事もあり、張飛は毎日時間の許す限り傍に付き添っていたが
馬超は親友であっても身内ではないし、朝来たときに「痛くて眠れない」と訴え、昼間も寝付けない様子を見てきたのが
気になってはいたのでこの場はもう切り上げて帰り、後は彼一人でゆっくり休ませるのが必要だろうと考えていた。

「いいや・・・・・・・・・・・・・・    ・・・・寧ろ、・・ずっと居てくれて、嬉しかった。・・・・こんな事言うと怒るかも・・・・・・だけど、
お前やっぱ・・・・経験者なんだなあって・・・・思ったよ・・・・・・    ・・・・・・・・居てくれて、ありがとな・・・張飛」
いつも、仕事場では友達であるがゆえ、大柄な張飛に対してよく"お前デカいから邪魔だよ"と軽口も叩く事があった
馬超だが、今日一日傍にいてくれた彼の存在は、心から有難いと感じた。
痛みや悪心、発熱と肉体的にはかなり辛い状態なのにそれでも目を開け、彼が傍にいるのを認めると自然と言葉を
交わしたくなり、それをすると今ある症状の辛さも随分紛らわせる事が出来た。
また、敢えて求めずとも時々自発的に背中を摩ってくれたり唇を湿らせてくれたりする一つ一つの行為にも病身を
気遣う思い遣りが見て取れ、今までは知らなかった彼の姿を見たような気も、する。

「そっか、迷惑になってないなら、良かった・・・・・・    ・・・でもホント、もうそろそろお前も、休んだ方が良いよ。
俺は明日は仕事行くから昼は来れないけど、終わったらまた寄るから。・・・・・じゃあ俺、帰るな。オヤスミ、お大事に」
「・・・・解った・・・・・・   ・・・うん、お休み・・・・・・・・」
張飛が去り、ベッドに横たわる自分独りになった病室内は急に静まり返ったような、気がした。
今までずっと独り暮らしで、独りで過ごすのも慣れている筈なのに、何故か今日はとても寂しいと感じる。
単に今は身体の自由が利かない事以上に、病気の所為で人恋しい気持ちが増しているのかも知れない。
(・・・・・・寂しく、なっちゃったな・・・・・・・・・・)
さっきまでは言葉を発すれば必ず、返ってくる声があったそれも今はもう無く、馬超はその後ようやく眠りに堕ちるまで
ただ痛みに耐えながらぼんやりと、ベッドガードの柵や腕に繋がれている輸液の管を見つめているだけだった。


翌日、張飛はいつもと同じに起き、朝食用の粥を二人分炊こうとしてふと、手を止めた。
今日からしばらく、朝食にありつきに来る彼の姿は、ないのだ。
(・・・・・・・・そうだった、あいつ・・・・・・・・・・・入院、したんだよな・・・・・・・・)
もう、どれくらいぶりだか判らないほどに久しぶりの一人きりの朝食はどうにも味気なく、傍のTVを点けて朝の番組の
軽快な音声を慰みにしてみたが結局それもあまり役には立たず、寂しい気分を感じながら出勤する。
仕事へ行っても彼はいないのだと思うと少し、気持ちも重かった。

その日は幸い商品の入荷がない日で忙しくなく、ただいつも馬超がしている発注など事務の処理は張飛には
出来ないのでオーナーがしに来ていたが店の業務は張飛一人でも、どうにかこなせた。
「・・・じゃあ、お疲れさんでした」
レジの締め作業も普段は馬超の担当であり、今日はオーナーが自らするので帰って良いと言われ、張飛は
いつもと同じに自分がしている最後の掃除を済ませてから店を出、そのまま中環の病院へ向かう。

だが、馬超はその日は本当に眠っているらしく、病室に入ってみても昨日の朝のように反応は無かった。
看護士に聞いてみると、昼間はしばらく目が覚めていたようだが今日もまだ食事が無く起きる事も出来ずに長時間ただ
横になっているだけの退屈な状態に生活のリズムが崩れ、一時的に嗜眠傾向が強まっているらしいということだった。
しかし脳疾患など病的なものではないので心配はないし、今はまだ安静が必要という事もあり眠れるのは症状が落ち着いて
きている証拠でもあるので、傍に行っても目を覚まさない場合は無理に起こしたりはしないようにと、言われた。

ベッドに歩み寄り、様子を確かめると彼は点滴に繋がれたままスースーと、柔らかく規則正しい呼吸を発しながら
眠っていた。昨日は九度近くまで出ていた熱も今朝には八度を少し切る程度にまでは下がっていた為か、
眠る表情も大分、楽になった様子が見て取れた。

(・・・ふふ・・・・・馬超の奴、よく眠ってら・・・・・)
ぐっすり眠っている姿を目にするのが何処か不思議な感覚を覚えて物音を立てないようにそっとベッドガードに凭れ、
しばし寝顔を眺める。
職場で知り合い、付き合いを重ねるうちに親友となった彼だったが自分には一緒に暮らす関羽がいた事もあってか、
馬超とはあくまで、友情以外には何もない一定の距離を保った関係でしかなく、こんな風に彼が眠っている姿を見るような
状況になった事もこれまでは一度もなかった。

結局、起こさないようにと言われていたし、このまま待っても面会時間が終わるまでに目覚めるかどうかも定かではない
ので張飛はバッグから昼休みに買っておいた漫画-今日入荷されたばかりの、親友が気に入っていつも買っている作品の
最新刊-を取り出してサイドテーブルに置き、備え付け電話の傍にメモ帳を見つけて幾らかの言付けを書くと本の間に軽く
差し込んで置き、そっと病室を後にした。

馬超が目を覚ましたのは丁度、消灯より少し前の頃の事だった。
(・・・・・・ん・・・・・・?)
目蓋を上げ、何気なく目を動かした視界に、サイドテーブルに置かれた漫画の存在が、入った。
手を伸ばして取ると挟まれているメモに気付く。

"馬超  
今天新刊出了放喲。
是很好地睡著的今天返回。
明天再靠近。
大事!
張飛 "
馬超へ
今日新刊出たから置いとくよ。
よく眠ってたんで今日は帰る。
明日また寄るから。
お大事に!
張飛より


(そっか、来てくれてたんだ・・・・・・   ・・・わざわざ買っといてくれたんだな・・・・   ・・・そうだ・・・・・、電話、出来るかな)
気を利かせて自分の好きな漫画の新刊を買い、届けてくれた友にどうしても礼が言いたいと思い、電話も傍に備え付けられて
いるのは何となく視界の端に捉えていたので知っていた。それでナースコールをして友達に電話したいが出来るかと聞くと
消灯までのあと数分で済むなら構わないと許可してくれたので何とか電話機を枕元まで手繰り寄せ、張飛の携帯番号に掛ける。

『・・・・もしもし?』
数回のコール音の後、怪訝そうに応答する声。こんな時間に電話が掛かったことに加え、病院の電話なのできっと、見知らぬ番号が
表示されているせいもあるのだろう。
「張飛か、俺だよ、馬超・・・・・・・・・・・・・   ・・・・見舞い、来てくれてたのに丁度寝てて、悪かったな・・・・・・・・・・・?
・・・・ああ、うん・・・・今しがた、目が覚めたとこ・・・・・・・そうだ、漫画サンキュ。それをどうしても、言っときたくて。
・・・・そう言えば仕事、どうだった?・・・・・一人で大変じゃなかったか」
発症から約四十時間余りが過ぎた今は熱も殆ど下がり、腹痛も段々落ち着いてきてひどかった悪心も治まってきているので気分は大分
良くなっていて、馬超はまず漫画の礼を言った後ふと、仕事の事を、尋ねる。
『おう、何だお前かあ・・・・・・はは、そんなの別に良かったのに?今日はよく眠れてたみたいで良かったよ。・・・まあ、仕事は
何とかなったな。事務の事とかレジ締めはオーナーがやりに来てたんで・・・・・・・けどお前は今はそんなの、心配すんなって。
わざわざ電話、ありがとな。声も大分しっかりしてるし、安心したぜ」
電話の相手が馬超だと判るといつものように明るい声に戻り、でも病身を気遣ってすぐ切り上げようとする。
馬超にはそれが、妙に寂しく感じる。そして同時に、自分の気持ちを自覚する。
(・・・・・・え・・・・、・・・・・・俺・・・・・・・・・・・・・・・?)

張飛が、愛しい。
自覚したのはたった今だが思い返せばずっと前から親友だった張飛が義兄を亡くし、その心の余りにも弱い部分まで
目の当たりにした馬超の中では、次第に彼に対する気持ちが変わりつつあったように、感じる。
部屋を引っ越したのは勿論純粋に友達としての心配があったからだが、その時から既に、心の何処かには何時でも
彼の近くに居て、彼の頼りになりたいと思う気持ちを持っていたようにも、思う。
ただ、張飛の中には未だ関羽の姿があり、彼のことを愛し続けているのも、理解っていた。
突然自覚した自分の気持ちに、戸惑いを感じる。

『・・ン・・、あれ・・おい、どした馬超?大丈夫か?・・・もしも~し・・』
馬超の返事が無いので電話の向こうの張飛がつと、心配そうに問う声を発する。
「あ、・・・ああ・・・・・、大丈夫だ、ちょっと・・・・考え事」
『・・フゥン、そっか?具合とかおかしい訳じゃあ、ないんだな?電話だしビックリするよ、急に黙られたら』
ただただ、自分を心配してくれている言葉の一つ一つが今の馬超にとっては愛しくもあり、重くも感じる。
彼に、逢いたくて仕方ない。
「な・・・・・、明日は・・・・来てくれるよな、また・・・・・?・・・・・・・・明日は、ちゃんと・・・・・起きてるから・・・・
起きて待ってるから、来て・・・・・くれるよな?」
自分の中に突如現れた恋の気持ちに逸りが抑えられず、明日また来てくれるかと、確かめる。
『ンッ?!何だよ、どうかしたのかお前・・・?そんなに念押すみたいに言わなくても俺、明日もちゃんと行くって。
でも無理は駄目だな。眠かったら寝てろよ?』
電話の向こうで張飛は、急に来訪の確認を求めてきた親友に面食らった様子の声で問い返し、答えてくるが
馬超はその時ばかりは頑として、譲らない。
「いいや、俺明日は絶対、寝ないでお前来るの、待ってるから」
『はは・・・・・ああ解った解った。解ったからホントに、無理だけはすんなよ?けど、今日のお前、なんかおかしいなァ・・・・・・
まあ、明日仕事終わったらまた、行くから。・・・・・・・それじゃあな、オヤスミ』
まさか、親友の心に自分に対する恋が芽生えているとは思いもせず、まるでサンタを待つ子供のような答え方をする
言葉に張飛は苦笑い気味に返事を返し、電話を終える。
(・・・・・俺・・・・・・・・・・あいつが・・・・好き、なんだな・・・・・・・・・こんな気持ち、今まで感じた事、無かった)
見舞いをちゃんと約束してくれた事にしばらく嬉しい気持ちが先立っていたが、電話を終えてしばらく経つと
再び、自分の中に沸き起こった気持ちを自覚し、胸はトクトクと高鳴る。
これまで二十六年余り生きてきた中には何度か恋もした事はあったがこんなにも胸が高ぶる想いはまるで
経験が無く、これこそが本気の恋なのだと、その時初めて、知る。
その夜は胸の興奮が収まらず、消灯時間を過ぎても暗い病室の中、なかなか寝付く事が出来なかった。


翌朝、入院三日目になりさすがに年齢が若く、病状的にも軽症だったお陰で回復も早いらしく、投薬と二日間の
絶飲絶食によって発熱は取れ、腹痛ももう殆ど軽くなっていたので起き上がって座り、具合が良いようなら病室内で
少し歩く程度はしても構わないと許可が下りた。
そして食事も、昼までは様子を見るが夕方からまず薄い重湯で食事を再開してみる予定だと言われ、食事外に
白湯ならもう自由に飲んでいいと言う事でずっと着けられていた輸液の針も取り除かれて、昨日までまるで重病人と
変わらない寝たきりの状態だったのが一気に、回復期の患者へと姿が変わった。
そして馬超は、点滴が無くなりもう起きられるようになった自分の姿を早く、張飛に見せたくて堪らなかった。
(・・・・・・早く、夕方にならないかな・・・・・・・・・・・・   起きてるの見たらあいつ、きっと驚くだろうな・・・・・・・・
早く、逢いたいな)
二日半ぶりに身体の自由を得た馬超はベッドの上に起き、昨日張飛が届けてくれていた漫画を楽しんだり、
病室に備えられたTVを見たりしてのんびりと、一日を過ごした。

そして夕方。
病院の食事は時間が早いので張飛が来る前に夕食は済んでいたが、朝聞いていた通り入院後初めて馬超の
所にも配膳があり、本当にごく薄い重湯が少量だけだったが生まれて初めての入院でしかも、二日間ずっと輸液と点滴
しかなく、まるで活力剤を挿された鉢植えかのような気分を感じていた彼にとってはそれでもやっと人間らしく、椀に
注がれスプーンで口に運ぶ「食事」を貰えたことが嬉しかったし、普通ならきっとろくに味などしないであろうその薄い重湯も、
今の彼にとっては非常に、美味く感じるものだった。

七時前。
コン、コンとドアがノックされ、それからそっとドアを開けて顔を覗かせた張飛と、目が合う。
「・・・・あッ、は・・・・・・   ・・・・お前もう、起きても良いのか・・・・・・・?」
昨日までとは打って変わって、ベッドの上で起き上がって漫画を読み返しつつ、カップで白湯を啜っている親友の姿に
張飛は思わず、顔を綻ばせる。
「やァ・・・仕事、お疲れさん。・・・・・んん、今朝からな。食事も、今日はまだ重湯だけだったけど夕食からは
出るようになったんだ。・・・・白湯ですらこんなに美味いと思ったの、俺初めてだ」
掛けられた言葉に笑みを浮かべて答えてから漫画を閉じ、見遣った張飛の姿はもう見慣れている筈なのに、今は
自分の中に自覚した気持ちもある所為か、新鮮な愛しささえ感じる。
「へえ、そっかァ!何だ、良かったなあお前・・・・・こんなすぐ、元気になれて・・・・・・   ・・・もしかして、昨日
あんなに俺に来いって念押したの、この事でわざと・・・・・?」
張飛にしてみれば、今目の前にある状況からしてもそう考えるのが至極、当たり前だったかも知れない。
「起きて」待ってると行ったのも、起き上がって待ってるという意味で言ったようにさえ、今は取れる。

もし、自分の気持ちを隠すつもりなら、この張飛の言葉に同調さえすれば、それで良かっただろう。
だが馬超は打ち明けるには今しかないと、思っていた。
「ああ、いや・・・・・・・・・    あれと、これとは・・・・・別、だよ。起きて良いって言われたのも、今日から食事が
出るって聞いたのも全部、今朝になってからだから・・・・・・・・・・・・・      ・・・・・・・・なあ、張飛・・・・・・・・
正直に言うよ、俺・・・・・・   ・・お前が、好きになってた。いつからか、いつの間にか・・・それは俺にも、判んないけど・・
・・・・・お前の事が、好きだ」
まるで予期せず親友から打ち明けられたその言葉は、張飛の心に衝撃を与える。
「・・・え・・・・・・・・・・    なんで、急に・・・・そんな事・・・・・・・・・・・・     ・・・・・友達だから、俺だって
お前の事は、好き・・・・だよ・・?一緒にいて、楽しいし・・・・・・・・・・・  ・・・・そういう意味じゃあない・・・・のか?」
そうして、困惑気味に問い返す声は少し、震えている。
子供の頃に出会った関羽と義兄弟の約束を交わし、それがいつしか自然に恋人の存在も兼ねるようになって、
未だ義兄しか愛した経験のない張飛にとって大人になってから初めて知り合い、今までは友達として付き合ってきた
馬超からの突然の告白はどう、扱えば良いか解らなかった。
「・・・・・・・・・    ・・・・・・そう、だよな・・・・御免な。急に、こんな風に言ってもお前やっぱ、困っちまうよな・・・・
・・・お前の心には、今も関羽さんが・・・・いる・・・・・・・・・・・・それは、俺にもちゃんと、理解ってる・・・・・・・・・・
理解ってるけど・・・・・・・それでも」
今日許可が下りたばかりの、まだ治りきっていない身体で長く起きていすぎたのか、それとも初めての食事の所為か、
また急に腹痛が強くなってきて我慢出来なくなり、クッと小さく声を漏らすと引き寄せていたテーブルに頭を擡げるように
前のめりに身体を曲げ、苦悶の表情を浮かべる。

「・・・・・・・・!・・・・・    ・・・あ、だ・・・・大丈夫か、また痛むのか・・・・・・?」
急に苦しそうな様子を見せた事に驚き、一先ずさっきの事は置いて傍に駆け寄った張飛はそっと壊れ物を
扱うように上半身を抱きかかえるとゆっくりと横にさせてやり、すぐ枕元のナースコールを押し、具合が悪そうだと
知らせる。

「・・・・・・・、・・・・さっきのは・・・、・・・・・・・忘れて、いいから・・・・・・・・・・・・・・  御免、よ・・・・・・」
心配そうに背中を摩ってくれる張飛の顔をじっと見て、呟くように発せられた言葉は悲しかった。
痛みの所為だけではなく溢れた涙が一筋、彼の目の端を流れ落ちて枕を、濡らす。
「・・・・・大丈夫だからな、大丈夫だからな・・・・・・・・・・・またすぐ、良くなるから」
間もなく、医師と看護士が駆けつけてきて容態を確かめ、注射など一通りの処置が施された後、
馬超の腕には再び点滴の針が差し込まれ、やがて病室にはまた、静寂が戻る。
眉間に少し皺を寄せ、辛そうな表情を浮かべたまま、泣いていた事で少し精神的な興奮状態が認められると
判断され、強めの鎮静剤を打たれて半ば強制的な眠りに堕ちた親友の顔を見ていると、張飛の中には彼の具合を
悪くさせたのはもしや自分の責任ではないかと、感じる気持ちが起こってきていた。

膵炎の場合、絶食明け初めての食事後に悪化反応が出るのも病気の性状上ありがちなことなので実際は
何も関係はなかったのだが医者ではない張飛にはそんな事など到底解ろう筈も無く、しかもたまたま告白した直後の
事だったので余計に、馬超が具合を悪くしたのは自分の対応が彼を傷つけた所為ではないかと、思い込み始めていた。

(・・・・・・・・・俺、どう言えば・・・・・・・・・良かったんだろう・・・・・・・・・・・・・・・・    ・・・何で、俺なんかが
良いんだよ、お前・・・・・・・・・・?・・・・・・・・兄貴の事忘れられないって知ってても・・・・・・・・それでも、って
なんでそこまで・・・・・・・・・・・・・・言えちまうんだよ・・・・・・・・・・・?)
既に面会時間は終わろうとしていたが、どうしてもそのまま帰る気にはなれず病院に頼み込んで今夜一晩だけ、
付き添いを許可してもらった張飛は電気が消されて真っ暗な病室の中、ベッドから少し離した椅子に座り、カーテンの
隙間から差し込む僅かな月明かりに浮かぶ眠る親友の姿を見つめながら、心の中で必死に自分に問いかけ、そしてまた、
馬超に問い掛ける。

張飛自身、年上で義兄となった関羽から一心に愛情を注がれ、成長に伴ってそれを受け入れ応える形でしか
恋の経験をしてこなかったので今あるそれが本当の恋心だとはまだ気付けずにいたが、義兄を亡くし散々に荒れて、
立ち直ってきた時から傍にいて支えてくれた馬超という「親友」の存在は関羽のそれとはまた違うかけがえの
無いものとして、失いたくないと思う気持ちがある事は自覚し始めていた。


何時間か、後。
真夜中に馬超は目を、覚ました。
(・・・・・・・・・・・・・・)
投与された薬のせいか、頭はぼんやりしているが腹痛はまた殆ど治まっていて、つと寝返りを打つ。
そしてゆっくり身体を起こすと、少し前に薬が交換され、未だ腕に付けられたままの点滴の針を殆ど無意識に引っこ抜き、
傷から血が流れるままベッドから下りて裸足で、フラフラと歩き出す。
「・・・・ンッ・・・・・・・・?!・・・・」
椅子をベッドの窓側に寄せ、壁に凭れてしばし眠っていた張飛はヒタ、ヒタと歩く音に気付いて目を覚まし、ドアのレバーに
手を掛けようとした瞬間、崩折れた馬超の姿を目にして慌てて駆け寄り、大声で医師を呼ぶ。
「・・・・・・・せ、先生ーーーーーーッ!!看護師さんーーーッ!!!誰か・・・・・、・・・誰か・・・・・・!!」
真夜中の病棟に突然響いた大声に、何事かとまず看護師が数人駆けつけ明かりが灯された瞬間、腕から血を流して
ぐったりと床に倒れている馬超の姿と、信じられないものを見たという表情で膝をつき、這い蹲るようにして今にも泣きそうな
様子で親友の名を呼び掛けている張飛の姿を発見して大騒ぎになる。
それから、すぐ一通りの検査と腕の傷の手当を受け、点滴を外して歩き出したのはどうやら鎮静剤の効き目が強すぎたために
起こった譫妄状態、倒れたのは急に立ち上がり動いた事による貧血症状らしいと言う事で片付き、抜いた針から漏れ出た点滴剤と
滴り落ちた血液で汚れた上掛けなどを交換してもらった病室に運び戻され、既に意識も回復している馬超はその時初めて、
張飛が泊り込んで傍にいたことをはっきりと認識し、途端、自己嫌悪に陥る。
思い余っての衝動的な告白と、撤回、そして薬と体調の影響によるものではあったが突然の譫妄、昏倒。
続けて犯した自分の失態が情けなさ過ぎて、空いている腕で顔を覆うようにして、ため息。
「・・・・・・・・・・俺・・・・・・   ・・・もう、サイテーだ・・・・・・」
自分を罵る言葉を一言、独り言に呟くと惨めな気持ちに涙はただ、勝手に溢れてくる。
少し身体を捩り、張飛に背を向けるようにして肩を震わせ、泣く。

「・・・・・・・・・馬超」
向けられたままの背中に、声を発する。
「・・・・・・・・・お前、一体何処に・・・・行く、つもりだったんだ・・・・・・・・?どう、したかったんだ・・・・・・・?」
張飛は、怖かった。彼の中に、自分への想いがあることは知ったが自分は困惑してそれを受け入れられない態度を示した後の
事だっただけに、もしや彼は黙っていなくなるつもりだったのではないかと、そんな不安が急に、心に浮かぶ。
「・・・・・・・・   ・・・・・・・お前がさ・・・・・・・・・寂しそうに泣いてる夢・・・・・・・・・・見てたんだ・・・・・・・・・・・・・・
だから傍に・・・・・・・   いてやりたかった・・・・・・・・・・・・・・・    ・・・馬鹿、だろう俺・・・・・・・・・・・・・?
俺じゃあ・・・・・・・・駄目だって・・・・・もう、判ってるのに・・・・・・・・・・・・・・・・」
明確な拒絶だけはされなかったものの、告白に困惑し答えた張飛の言葉は自分が友達以上の存在ではない事を示していた。
なのにそれでも夢に絆され、譫妄状態の中で彼の許へ行こうとしたなんて自分はまるで、道化だ。
そんな自分が余りに辛くて惨めで馬超は一度ぐっと奥歯を食い縛りそしてまた、泣く。
自分の中に生まれた気持ちを伝えてしまった以上、きっともう張飛とは一昨日までの仲良しの関係にさえ、戻ることは出来ないだろう。
だからやがて元気になって退院したらすぐにでも全てを白紙に戻し、香港を去ろうとまで、考え始める。

そして、必死に声を押し殺し、肩を震わせてただすすり泣くその姿と背中越しに明かされた、譫妄状態の中にあった気持ちを
知った瞬間、張飛は自身の心に感じていた「彼を失いたくない」気持ちはそっくりそのまま、彼への恋なのだと自覚した。
勿論、今も義兄への気持ちは決して変わらないが、彼はもうこの世には、いない。
義兄を裏切りたくないとただそればかりを思う余り親友の気持ちの変化に困惑し、深く考えないままつい、否定の返事を
返してしまったが、関羽がいなくなってから自分をずっと支えてくれたのは他でもない、彼ではなかっただろうか?
在る場所が遠く離れて逢う事もままならない他の友人達とは段々疎遠になっても、ずっと同じ街にいた彼とだけはちゃんと、
関係を保とうとしてきたではなかっただろうか?
既に張飛も薄々、馬超がいずれ街を去ろうと考えている事には、感づいていた。

今ならまだ、間に合う。彼を、失ってはいけない。
心の声がそう、呟く。
「―――――――お前でも、良い・・・・・・・いや・・・・・・・   ・・・・今はもう・・・お前じゃなきゃ、駄目だよ・・・・俺」
しばしの沈黙を破って発せられたその言葉に、馬超はハッとなる。
予期せぬ言葉に驚いて横になったまま向き直り、見ると張飛も瞳を潤ませ、目が合った瞬間に堰切ったようにボロボロと涙を零す。
「・・・・・・・兄貴のことは・・・・・・・今でも・・・・・・・大好きだけど・・・・・・・・・    でも・・・・・・・・・・・・・兄貴はもう、
・・・・・いないんだ・・・・・・・・・・・・        ・・・・・今、この世にいるのはお前・・・・・・だもん・・・・・・・・・・・・・
・・・・俺を・・・・・・・独りぼっちにしないでくれよ・・、馬超・・・・・・・・・・   ・・・ずっと、傍に・・・いてくれよ・・・・・・・
・・・・・もう何にも・・・・・・・・・・失うのは、嫌だ」
子供のように泣きじゃくりながら懸命に、思いの丈を伝える。

"もう何にも失うのは、嫌だ"

その言葉はどんなにも、馬超の胸に強く、深く、響いた。
何もかも捨てて逃げるのは、容易い。でも、後にこの街に残る彼は、どうなるというのだ。
義兄と暮らした思い出は捨てられないから、彼は決して、この街を出ることはない。だが、もし仮に自分までも
彼の許を去ったら張飛はこの先ずっと、この街にいる限り親友を失った事までも、思い出して生きることになる。
彼がそんなことに耐えられる人間ではないことくらい、一番知っているのも自分ではないのか。
「・・・・・・・・頼りない、俺だけど・・・・・・・・・   ・・・・・・・こんな俺でも・・・・・・・・良いんなら・・・・・・・・・・傍に、いるよ・・・・・
約束、する・・・・・・・・・絶対に、お前を独りぼっちには・・・・しないから・・・・・・・・・      ・・・・・おいで」
片腕は点滴がつけられているので動かせなかったが、横たわったまま空いているほうの腕を軽く広げ、
そっと上半身を覆い被せるように身を乗り出した張飛の身体を優しく、抱く。
「・・・・ああ・・・・・・・・・お前の身体は、温かいな」
その言葉に少し身体を戻し、顔を見てはにかむように微笑った張飛の身体を再び引き寄せ、そのままそっと、
初めての口づけを、交わす。
張飛の唇は薄めだが意外と柔らかく、仄かに甘い味がした。
「・・・・ン、アレ・・・・・・・・・・   何か甘い味が・・・した・・・・」
予想外に口に感じた僅かな甘み。
「あ・・ッ・・・・   ・・・御免、さっき・・・・キャラメル貰って、食ったから・・・・・多分、それでだ」
文字通りの"甘い"キスが何だか嬉しくて、馬超は笑みを浮かべる。
そして取り繕うように言い訳をする張飛をとても可愛らしいと思う。馬超の譫妄行動を目撃して動揺していた張飛は
彼が処置を受けている間、気分が幾らかでも落ち着くようにと気を利かせた看護士が詰め所から取ってきて分けてくれた
キャラメルをしばらく、口に含んで舐めていたので恐らくその味がまだ、口に残っていたのだろう。
「―――――――――」
馬超は想いを通わせる事が叶った愛しい彼の存在が傍にあること、それを目一杯感じながら間もなくまた、すうっと眠りに就く。
とても穏やかな表情で静かな寝息を立て始めた彼の、茶色の短い髪を優しく撫でながら、張飛はずっと、その寝顔を見つめていた。

生涯初めて愛した義兄は、「飛」という自分の名と関わる、「羽」という名を持っていた人だった。
そして今、新たな愛を育み始めた彼の名は、「超」。
義兄の名と違って直に関わりのあるものにはならないが、飛も超も、どちらも未来へ進む意味を持つ言葉に使われる、文字。
ずっと前から親友だった彼と今こうして結ばれる事になったのはもしかすると、元にある筈だった未来を永遠に失ってしまった代わりに、
新しい未来を紡ぎ、歩みだす為に導かれた、運命だったのかも知れない。

その後、馬超の病気は至極順調に回復していき、最初の医師の予測どおり十日余りの入院で全快して無事、退院を迎えた。
退院の日は日曜で、清算の都合で実際に病院を出られるのは十時過ぎになるという事だったが朝起きて病院での最後の食事を
済ませ、前日に持ってきてもらっておいた普段着に着替え終わった頃丁度、面会時間が始まり待ちかねたように張飛がやってきた。
「オハヨー!・・・・あっ」
「おう、お早う張飛、随分早いな?下で待ってたのか」
全部言い終わらないうちに、歩み寄ってきた彼にぎゅっと、抱きしめられる。
「退院おめでとう、馬超・・・・・・・・・・俺今、自分の事みたいに、すっげえ嬉しいよ。良かったなァ、元気になって・・・・・・
久しぶりに、パジャマじゃないお前の姿見れたのも嬉しいな」
「はは・・・・・・・もう、大げさだなあ、お前は・・・・・・   でも、サンキュ。お前には心配も、掛けてほんとに、御免な」
入院はたった十日余りで、それが退院を迎えて私服に変わっただけの事でもこんなに喜んでくれる彼は、本当に愛しいと思う。
彼の身体を抱き返しながらその愛情をしっかりと受け止め、それからそっと、口づけ。
悲しい事も、辛い事も過去にはあったが、それらも経て本当の恋を成就させた今は最高に、幸せだと感じていた。


そして、それから数ヶ月が過ぎた。

年が明け、次の三月。
関羽の一周忌を迎えたその日、張飛は屋上で空を見上げていた。
(なあ、兄貴・・・・・・・・・・・・・たった三十一年しか生きていられなくて兄貴は本当に、幸せだったかい・・・?
・・・・・・俺はね、やっぱり、寂しい。兄貴ともっと一緒にいたかったよ・・・・・・・一緒に旅行、行きたかったよ)
もう一年も経つのに、彼がいたのがまだつい昨日の事のようにさえ、思える。
一度はもう完全に悲しみを断ち切り、これからの人生を共に歩もうと約束し合える相手にも恵まれたがそれでもやはり
義兄への想いは永遠に消える事は無いので今日が近づくにつれまた、少し前から気持ちは塞ぎ気味になっていた。

その時、突然鼻先に舞い落ちてくる、白いもの。
(・・・・・・・あ・・・・・・雪だ・・・・・・・・・・・・・・・)
思わず手を差し出し受け止めると、それは手のひらの体温ですぐ、解けて消える。
間もなく落ちてくる数は次第に増え始め、吹く風に乗って張飛の身体の周りを舞い飛ぶ。

「・・・・・・なんだ、やっぱりここにいたのか。・・・・・へえ、珍しいな?この香港で三月に雪が降るなんて・・・・
どおりで今日はやけに、冷えると思ったよ」
そこに、背後から声が聞こえてくる。
振り返ると、丁度階段を登りきった所で同じように空を見上げる馬超の姿があった。彼もまた、関羽の法要の為に今日は休みを
取っており、二人ともが休みなので店は臨時休業ということに、してもらっていた。

「・・・・ああ」
彼の発した言葉に一言同意を返し、微笑みを見せると歩み寄ってきた彼と舞う雪の中そっと、口づけを交わし、
それから自分の大きな身体で彼を包むように、抱きしめる。
馬超ときちんと「付き合い」始めてからもう数ヶ月。一旦完治はしてもまたいつ再発するかは判らない病を患った彼は
もう決して張飛に辛い思いはさせまいと、原因になりやすい生活リズムや食事の内容にきちんと気を遣うようになり、張飛も
それにしっかり協力していたので幸いにもその後は一度も病気の兆候はなく、また以前と同じく働き、そして余暇を楽しんで
元通りに暮らせるようになっていた。

「・・・・・はは、こうするとすごく温かいな―――――気持ち良い」
抱きしめられたまま腕の中で、満足そうに笑む姿はとても、愛おしい。


『張飛』
ふと何処からともなく、懐かしい声が聞こえたような気がして張飛は再び空を見上げ、愛しいその名を、呼ぶ。
「・・・・・関羽・・・・?」

『――――――わしは、いつでもここから、お前を見守って、おるよ。
馬超くんになら、安心してお前の事を、任せられる。
今のお前はとても幸せそうで、わしも嬉しいよ
いつか、本当に空へ来る日を迎えたら―――――また、逢おうな。
それまで、彼と二人そちらで幸せに、暮らしなさい
お前と彼の未来にはもう、二度と悲しい事は無いと、わしが約束するから
愛してるよ、阿飛―――――』


それが一体何処から聞こえたのかは、判らない。
でも、その言葉は確かに張飛の耳に、そして胸に、届いて深く刻み込まれる。
空を見上げたままの張飛の両目からすうっと涙が溢れて零れ、頬を濡らす。
それと同時くらいに雪は止み、雲の切れ間から上にある太陽の光が差し込み始める。
「――――あァ、雪止んだなァ・・・・・・・・・さすがに、三月だしここじゃあ積もるほどは、降る訳ないか」
雪が止んだ事を惜しむように、まだ張飛の腕に包まれたまま馬超は空を見上げ、問いかけとも、独り言とも付かない
微妙な言葉を、発する。
珍しい三月の俄か雪は、義兄が自分宛に送ってくれた、手紙だったのだろうか?

「・・・あれ・・・・・・・張飛、おい・・・・どうした・・、・・大丈夫か」
どうやら、関羽の声が聞こえたのは張飛だけだったし、名を呼んだ筈の声も実際には腕に抱いた彼にさえ聞こえないほどに
小さく呟いただけだったのか。
空を見上げたまま無言で涙を流している張飛の様子に気付き、心配そうに、伺っている茶色の瞳。
「ああ―――――――――今、声が、聞こえたんだ・・・・・・兄貴の。兄貴は、いつでも・・・・見守ってくれてるって。
お前になら、安心して俺を、任せられるって・・・・・・・・・・・・俺と、お前の未来にはもう、二度と悲しい事はないと、
約束するからって・・・・・・・・・・・兄貴、言ってた。・・・・・・・・・・・・俺の傍にはもう、いないけど・・・・・・・・・・・・・でも
何処かには今もちゃんと、いるんだな関羽は」
昨夏、命を絶とうとして入院した時、昏睡から覚めて夢の中で義兄に会ったと聞かされた以来の、彼との"会話"だった。
でも、今の馬超にはそれはきっと、張飛の中にある、「永遠の絆」が為せる事だろうと考える気持ちが出来てきていた。
「そっか・・・・・・・・・・・・・今日は命日だから、お前の傍に帰ってきて・・・・くれてるのかも、知れないな。あの人は、本当に
お前を・・・・・・大切にしてくれてたから。俺は一体どれだけ、お前を幸せにしてやれてるか、判んないけど・・・・・・・・・
でも関羽さんが、認めてくれるんじゃあ俺も・・・・・・・精一杯、努力しなきゃな。じゃあ、そろそろ墓参り、行くか・・・・・?
関羽さんきっと、待ってるぞ」
張飛の部屋に飾られている写真と、自分の記憶の中にも幾らか残る、関羽の優しい眼差しを思い出しながら馬超は
そっと、促す。
「そう、だな・・・・・・・・・・・今日は兄貴が好きだった花、花屋にあるの全部買って・・・・・・・・・持って行こう。
元寶(紙で作った故人の為のお金)もいっぱい、燃やして兄貴を金持ちに・・・・してやんなきゃな。ああ・・・・でも
兄貴のことだから、葬式の時に送った分もまだ貯金、してるかもなァ・・・・・」
これまでは、話をしてもせいぜい生前の思い出まで、ましてや葬儀の時の事など絶対に触れようとはしなかった張飛が急に、
義兄の空での暮らしぶりなど想像し、それを口に出したのにはさすがに馬超も、驚く。
しかしすぐに、それで良いのだと気付く。
彼はもう、未来へ向かって歩き出しているのだ。
一年前、最愛の関羽と悲しい別れをしたのは、あくまで事実。それはこれからも、変わる事はない。
でもそれをどんなに悔やんでも悲しんでも、時が戻る事はない。何度呼んでも、彼はもう、いない。
これから必要なのは、十七年間傍にいて愛してくれた義兄の存在を、忘れないでいるという事。
そうすればまた、いつか逢える日が来る。それまでは今傍にある馬超と共に幸せに生きて、天寿を全うするその時には
悔いを残さず幸せに生きたよと、胸を張って彼の許へ、行けるようにするべきだと。

先ほどまで空を覆っていた薄黒い雲はいつの間にか晴れ、少し霞がかった春の香港の街が、視界に眩しく映る。

「・・・・・・・・・・なあ馬超、もう少し貯金が出来たら旅行に、行かないか・・・・・・兄貴が俺と行くのを楽しみにしてくれてた場所を、
お前と一緒に・・・・・見たいから・・・・・、・・・な?」
ふと、義兄と交わしたまま果たせずにいた約束を思い出し、それを今度こそ果たしたいと親友を、誘う。
「はは・・・・・・・・お前と旅行かァ、良いね。それじゃあ俺も・・・・小遣いでも、幾らか貯めて作っとく、かな。
・・・・さあほら、ぐずぐずしてると俺は先に行くぞ?」
「ああッ、もう解ったって・・・・・・・・・行くよ行くよ」
先に階段を降り始めた馬超の姿を追いかけ、でもほんのちょっと立ち止まって一度だけ空の遠くに向かって笑顔を見せてから
バタバタと、階段を駆け下りていく。

空の向こうではきっと関羽が、そんな義弟の姿を眺めてふっと優しい笑みを浮かべていただろう。
張飛の新しい未来は、まだ始まったばかり。





**************劇終***************


2007/09/13 了

+++コメント+++
とうとう関張→馬張の流れになってしまった・・・
しかも余りにとんでもない話でスイマセン(涙 我ながら痛々しすぎるorz
蜀漢プロ設定だと身長差は僅か2センチだけど、イメージ的には馬超のほうが
張飛より小柄なのを推奨(微笑。
攻側が小柄って結構萌えます。
関張だと関さんのが張飛くんより更に身長がデカいのであんまり気にならないけど実は
関羽&張飛→共に骨太でガッシリ(格闘技型体格)
馬超→しっかり筋肉はあるけど全体的には細め(ボクサー型体格)ってのでも良いなあ
・・・妄想です・・・・


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